6月24日クスコの日は、Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りの日です!
Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りは毎年、少しずつ豪華になっていっています!
毎年世界中からたくさんの人が訪れ、ものすごい人になります!
Inti Raymi インティ・ライミ第一部、コリカンチャ、黄金の神殿跡地正面広場 Jardín Sagrado
1年に1度のクスコの祭典、インティ・ライミ Inti Raymi の祭りには、たくさんの観光客が訪れることが予想されたので、始まる2時間前の7時には、開場に行きました。
しかし、なんと驚いたことに既に3時から出待ちしている人がたくさんいて、簡単に席は取ることができませんでした。
祭典が始まる前に、インカ帝国の軍隊役の人が下手から上手に入場しに行ったシーンがあったのですが、軍隊役の人々は実際に現役のペルー・クスコの軍人たちがしてくれているのだとのことです。
さらに予想だにしていなかったこととして、去年はなかったことの一つとして、インティ・ライミ Inti Raymi の祭典は、サント・ドミンゴ教会側の入り口の方で、祭典が始まったということです。
だいぶ去年とは構成が変わり、さらに豪華になっていました。
サント・ドミンゴ教会側の入り口の後は、去年と同じようにインカ帝国時代の民族衣装を着た踊り手たちが、コリカンチャ、黄金の神殿があったサント・ドミンゴ教会の上から、階段で黄金の神殿跡地正面広場 Jardín Sagrado ハルディン・サグラード、聖なる庭園に下りてきました。
注目に値するのが、民族衣装にたくさんの種類があることです。
それには、きちんとした歴史的理由があり、それを忠実に再現していたのです。
インカ帝国時代の広大な領土にはたくさんの民族が含まれており、ジャングル地帯、海岸地帯、アンデス山脈地帯などいろいろな場所からの人々が、年に一度のインティ・ライミ Inti Raymi の祭りを祝いに上京して来ていたからなのです。
インカ帝国時代のインカ帝国を表す別名は、Tahuantinsuyo タウアンティンスーヨでした。
インカ帝国時代に、クスコを首都、中心とし、広大な領土を収めていましたが、それには大きく分けて4つの州があります。
実際、Tahuantinsuyo タウアンティンスーヨという言葉には、4つの太陽の州という意味がクスコ・ケチュア語であります。
Tahuantinsuyo タウアンティンスーヨの4つの州は、Collasuyo コヤスーヨ、Chinchaysuyo チンチャイスーヨ、Antisuyo アンティスーヨ、Continsuyo コンティンスーヨでした。
Collasuyo コヤスーヨは、南部、現在のチリ方面に位置していました。
Collasuyo コヤスーヨは、Llama リャマによって、表されました。
Chinchaysuyo チンチャイスーヨは、北部、現在のエクアドル方面に位置していました。
Chinchaysuyo チンチャイスーヨは、Tigrillo ティグリーヨと呼ばれる豹によって、表されました。
Antisuyo アンティスーヨは、東部、現在のボリビア方面に位置していました。
Antisuyo アンティスーヨは、Jaguar ジャガーと呼ばれる豹によって、表されました。
Continsuyo コンティンスーヨは、西部、現在のペルー第二の都市アレキーパ方面に位置していました。
Continsuyo コンティンスーヨは、Cóndor コンドルによって、表されました。
つまり、ジャングルの民族衣装を着ている人もいれば、山岳地帯の民族衣装を着ている人もいて、不思議ではないのです。
1年に1度の大切な大要の祭りインティ・ライミ Inti Raymi にそれぞれの州の代表者が駆けつけ、皇帝に顔見せをしていたわけです。
もう一つ去年と違っていたことは、インカ皇帝は、黄金の神殿跡地正面広場 Jardín Sagrado ハルディン・サグラード、聖なる庭園に下りては来ず、神殿角の一番高い場所で太陽の儀式を行い、大要の祭りインティ・ライミ Inti Raymi の第一部が終了したということです。
Inti Raymi インティ・ライミ第二部、アルマス広場 Plaza de Armas
大勢の人が Inti Raymi インティ・ライミ第一部が終わった後、コリカンチャ、黄金の神殿跡地正面広場 Jardín Sagrado ハルディン・サグラード、聖なる庭園を離れ、すぐに Inti Raymi インティ・ライミ第二部、アルマス広場 Plaza de Armas に急いで移動しました。
コリカンチャ、黄金の神殿跡地の第一部の後、約45分してから始まりました。
去年と違う部分として、開場が Catedral カテドラル、大聖堂前の通りだけではなく、アルマス広場全てが会場になっていたということです。
そして、入場もアルマス広場のそれぞれの4方面から入場がありました。
本当に大勢の観光客が、年に一度のインティ・ライミ Inti Raymi の祭りに来ていたわけですが、本当に大勢のエキストラが、それぞれ4方面の前で踊ってくれたので、どの方面にいた人も楽しめたと思います。
興味深いのが、こんなに大勢のエキストラがアルマス広場 Plaza de Armas で練習しているところを見たことがないのですが、よく組織され、それぞれの役割をきちんと演技きっているのがすごいなと思いました。
いよいよインカ皇帝の入場です。
入場はやはり予想した通り、Catedral カテドラル、大聖堂の前から入ってきて、正面で台座から降りました。
台座から降りた後は、インカ皇帝は、Plaza de Armas アルマス広場の中心に向かいました。
そして、Plaza de Armas アルマス広場の中心からインカ皇帝が、クスコ・ケチャア語で語り、儀式が始まりました。
6月21日が、南半球の冬至にあたり、太陽が復活する日と信じられていました。
現在では、6月21日ではなく、キリスト教の祭典と混合され、6月24日にインカの祭りも変更されたとのことです。
太陽の復活を祈り、人々は踊り、歌い、祈っていたという当時の様子をよくうかがい知ることができる祭典です。
そして、年に一度、インカ帝国、Tahuantinsuyo タウアンティンスーヨの4つの州は、Collasuyo コヤスーヨ、Chinchaysuyo チンチャイスーヨ、Antisuyo アンティスーヨ、Continsuyo コンティンスーヨの代表者たちが共に踊り、共に時を過ごすという日でもあったということもうかがい知れます。
ジャングル地帯のたぶん東部の Antisuyo アンティスーヨの人々だと思いますが、インカ柄のスイミングパンツ一丁のような格好で、興味深かったです。
インカ皇帝の言葉の後、ひとしきり踊り手たちが踊った後、第二部も終わりに近づいてきました。
インカ皇帝が再度台座に乗る際には、再度ひれ伏し、敬意を表明するというシーンもありました。
それぞれの部族が、ぐるっとアルマス広場 Plaza de Armas を一周してくれたので、それぞれの方面の人々がそれぞれの部族を見ることができたのもとても良かったです。
踊り手たちを見ていると比較的、あまり歩いていてもいないペルー人の中では美男美女が選ばれているように思えました。
どのように Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りのダンサーたちは選ばれているのでしょう?
第2部は、未だ本番ではなく、Sacsayhuaman サクサイウアマンの第三部の式典が本番になるので、1日中踊り倒して、疲れるだろうにすごいなと思いました。
インカ帝国時代の祭典の衣装の鮮やかさは、とてもカラフルで美しいです。
カラフルな美しい民族衣装で踊る様子は見ていて、とても美しいです。
それぞれの衣装を着た部族には、その部族を取り仕切る長がいるのですが、その長、つまり、隊長たちもそれらしいいかつい人たちが選ばれていました。
中には、角を生やした鹿の格好をしたダンサーがおり、時折好きにぴょんぴょん跳ねていました。
さらに、6月が乾季の雨の降らない季節だと思われますが、金のかえるの偶像と銀のかえるの偶像とがみこしで運ばれていました。
金のかえるの偶像と銀のかえるの偶像は、雨乞いの儀式を思わせますが、エジプトや日本の神道の八百万の神とまったく同じ信仰をうかがわせました。
インカ帝国の信仰は、本当に、エジプトや日本の古代の宗教心情そのもので、エジプトの王、日本の天皇、インカの皇帝はそれぞれ神の子とされ、太陽神を崇拝していました。
なんとなくインカの肯定と皇女に仕える付き人たちの着物のような服装と奥ゆかしい雰囲気は、日本の平安京などの時代を思わせます。
ついに、インカの女王様の登場です。
インカの女王様の再現もとても歴史的に忠実で、手に持っている布は、冬至のインカのカレンダー、暦で、それを持っているということは、四季、つまり、収穫や雨の季節を理解できる優れた人物の証でした。
それぞれがぐるっとアルマス広場 Plaza de Armas を周った後、すこしづつ退場していきました。
レストランの2階という特等席からインティ・ライミ Inti Raymi のパレードを高みの見物している人たちもいました。
インカ帝国の太陽の祭り Inti Raymi インティ・ライミでは、よく植物も使われていました。
花飾りは、男性も女性も付けている人が多く、とてもきれいでした。
インカ帝国の将軍たちも色鮮やかでした。
インカ帝国のお金や勘定に使われていたキップという紐もインカ帝国の財産能力を表す重要な部分の一つでした。
ついに、インカの皇帝のお出ましです。
インカ帝国は黄金の国として有名でしたので、インカの皇帝の台座や王冠などはすべて黄金でした。
ちょっと興味深かったのは、インカの皇帝の黄金の台座の手前には黄金のピューマ Puma が象られていましたが、台座の後ろ側には、黄金のとうもろこしが象られていたことでした。
太陽の祭り Inti Raymi インティ・ライミのアルマス広場 Plaza de Armas による第二部が終わったのが、朝の11時半頃でした。
太陽の祭り Inti Raymi インティ・ライミのサクサイウアマン Sacsayhuaman、第三部が午後1時半から行われました。
第3部は入場チケットが高かったので、行けませんでしたが、太陽の祭り Inti Raymi インティ・ライミの第一部、第二部だけでもとてもすばらしく、大満足でした。
無料で見ることができる演劇、ダンス、生演奏としては、最高峰の舞台だったと思います。
去年よりもさらによく、2倍も3倍も豪華になっていて、来年もとても楽しみです。
まとめ
6月24日クスコの日の Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りは、超壮大でした!
Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りには、第三部もサクサイウアマン Sacsayhuaman も見に行きたかったのですが、それにはチケットが必要です。
1年に一度のクスコのお祭り Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りのチケットに関しては、こちらの記事をどうぞ!
ペルー・クスコ観光!Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りのチケットの値段と購入方法!1年に一度のクスコのお祭り!
日差しが強いので、日焼け止めや帽子、サングラス、お水やお菓子などは必須です!
Inti Raymi インティ・ライミ、太陽の祭りは、インカ帝国時代の壮大な祭りのイミテーションですが、その規模の大きさから当時の領土の広大さとそのエネルギッシュなパワーを体感することができます!
ぜひ機会があれば、体験されてみてください。
それでは、良い旅を!ブエン・ビアヘ! Buen Viaje!
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