ペルー・クスコの南の谷観光地で、クスコの周遊券にも入っている Pikillaqta ピキヤクタ遺跡を今回は、ご紹介できればと思います!
プレ・インカ時代、ワリ帝国の遺跡で、白の都と呼ばれた街の遺跡になります。
規模はとても大きく、全て見てまわるのに、約20分から30分というところです。
南の谷 Pikillaqta ピキヤクタ遺跡の場所
クスコ市から車で約50分のところに位置しています。
バスで行きますと、クスコ市内から約1時間ちょっとかかります。
Urcos ウルコスや Sicuani シクアニ方面になります。
Lucre ルクレという村の湖を少し登ったところに位置しています。
ペルー・クスコの南の谷隠れ観光地!インカ帝国の遺跡 Pikillaqta ピキヤクタの Rumiqolqa ルミコルカ!まるで、ピラミッド!
Pikillaqta ピキヤクタの Rumiqolqa ルミコルカ遺跡、ピラミッドが右手に見えてきたら、左手が Pikillaqta ピキヤクタの町の遺跡の入り口となっています。
Pikillaqta ピキヤクタの表記があるのが、目印です。
南の谷 Pikillaqta ピキヤクタ遺跡
Pikillaqta ピキヤクタの街の遺跡の方は、南の谷の周遊券70ソレスの入場券が必要です。
ツアー会社で行く場合は、心配ありませんが、個人で行く場合は、事前にその周遊券を購入しておく必要があります。
しかし、10日という期限があるため、前もって買いすぎているのも危険ですので、ご注意ください。
Piquillacta ピキヤクタ遺跡は、インカ帝国以前のプレ・インカ時代、ワリ帝国の遺跡です。
今から1000年以上も前の文明で、西暦7世紀から11世紀まで栄えた帝国だと考えられています。
Pikillaqta ピキヤクタとは、クスコ・ケチュア語で、piki ピキという蚤(ノミ)という意味の単語と llaqta ヤクタという町という単語とでなっています。
つまり、Pikillaqta ピキヤクタとは、ノミの町という意味なのですが、なぜそんな名前なのでしょうか?
それは、Pikillaqta ピキヤクタの街に、ノミの数ほど多くの人が住んでいたからではないかと考えられています。
人口は、10000人以上住んでいたと考えられています。
Pikillaqta ピキヤクタ遺跡は、白の都市と考えられています。
なぜなら建造物の全ての壁、内壁や地面も含め、全て真っ白だったからです。
階段なども白い石灰のようなものの跡が残っていることがわかります。
真っ白の都市は、さぞ明るかったことでしょう。
そして、ワリ文明の遺跡、Pikillaqta ピキヤクタの街は、とても組織され、計算されていた街であることがわかります。
街がきちんと設計され、合理的に建てられています。
水の排水溝などを見ても、初めから考えられていたことがわかります。
石造りの壁は道路がきちんと整備されていたことがわかります。
その広大な規模を考えると、Pikillaqta ピキヤクタ遺跡の街は、150年から200年という長い時間、3世代から4世代にかけて完成に至ったと考えられています。
さらに、Pikillaqta ピキヤクタ遺跡には、ぐるりと城壁のように壁で仕切られており、侵入者や猛獣から守れるように設計されていました。
インカ帝国は、征服した数々の帝国の技術や知識を集め、さらに良い帝国にしていったと言われています。
ワリ帝国もその一つで、ワリ帝国の技術がインカ帝国にも良く見られます。
Pikillaqta ピキヤクタ遺跡の規模の街の遺跡は、なかなか他の遺跡でも見ることはできません。
ワリ帝国の当時の強さを現代にまで伝えているといっても過言ではない遺跡でしょう。
まとめ
クスコ南の谷の遺跡 Pikillaqta ピキヤクタは、とても大きいので、見応えがあります。
南の谷の周遊券を購入される方は、行く機会もあると思います。
ぜひ日焼け止めや帽子、サングラス、飲み水などを持参される事をおすすめ致します。
それでは、ブエン・ビアヘ!Buen Viaje!
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