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ペルー沖を襲った海軍提督兼ドラゴン海賊ドレイク船長

ペルー, ドレイク, 海賊, スペイン

ペルー沖を襲ったイングランドの英雄、海軍提督、兼、
スペインの悪魔ドラゴン海賊サー・フランシス・ドレーク船長をご紹介します。

ドレーク船長といえば、日本のゲーム、Fate やアニメ、ワンピースなどの
題材にもなっている歴史上の人物です。

今回は、そのサー・フランシス・ドレーク船長について、ご紹介したいと思います。

Sir Francis Drake サー・フランシス・ドレーク船長は、
イングランドの英雄、海軍提督としても有名であり、
スペインの悪魔、ドラゴン海賊としても有名です。

なぜ、英雄で海軍提督たる人物が同時に、悪魔で海賊の船長でもあるのでしょうか?

フランシス・ドレーク船長の人生

フランシス・ドレークは、南イングランドで、1543年に生まれました。

お父さんは、農家の人でしたが、後に牧師になった人です。

12人兄弟の長男です。

10才頃には、すでに船で仕事をしていました。

いとこのジョン・ホーキンスの船団に乗っていました。

20代後半、ベラクルスにて、当時世界最強といわれたスペイン艦隊に襲われ、
死にそうになるという経験をします。

イギリスに逃げ延びた後、1569年、結婚します。

その後、スペイン艦隊への復讐心と共にスペインの船や植民地などを
海賊の様に襲い始めました。

たくさんの勝利を重ね、勢力を拡大し、艦隊を組む様になります。

大型ガレオン船ゴールデン・ハインド号の船長として、名を上げていったのです。

この際、スペイン帝国の植民地であったチリやペルーも襲って、
ペルーでもフランシス・ドレーク船長は恐れられたのです。

その際、悪名高い海賊の船長として、悪魔、ドラゴンとしての異名で知られる様になったのです。

それで、フランシス・ドレーク船長は、ドラゴンを意味するソラコとしても呼ばれる様になり、
Franciscus Draco フランキスクス・ドラコ船長とも呼ばれる様にもなります。

この航行の際、南アメリカのホーン岬と南太平洋と南大西洋を結ぶ海峡、
ドレーク海峡を発見し、世に知らせました。

その結果、南太平洋と南大西洋を結ぶ海峡が自分の名、
ドレーク海峡で呼ばれるようにもなりました。

その後、イギリスへと帰国した際に、フェルディナンド・マゼランに続き、
歴史上二番目に、世界一周を達成しました。

イギリスに帰国した際には、艦隊は、海に沈み、
ゴールデン・ハインド号一隻のみになっていました。

しかし、持ち帰った財宝は膨大で、エリザベス1世女王がたいそう喜び、
イギリス海軍の中将に任命される結果になったのです。

この際、イギリス海軍の中将として、叙勲であるサーの称号を受け、
イングランドの英雄、海軍提督
Sir Francis Drake サー・フランシス・ドレーク船長としても、
名を知られる様になったのです。

こうして、Francis Drake フランシス・ドレークは、
悪名高い海賊、悪魔、ドラゴンの Franciscus Draco フランキスクス・ドラコ船長と同時に、
海軍提督、英雄の Sir Francis Drake サー・フランシス・ドレーク船長
でもあることとなったのです。

1581年、妻メアリ・ニューマンが亡くなった年、
イングランド南西部デヴォン州の港湾都市プリマスの市長にも選ばれました。

1585年に、再婚しましたが、その後も当時最強のスペイン艦隊を相手に
海賊のような手法で、勝利を収め続けました。

しかし、52歳の時に敗戦し、55歳の時に病気で亡くなりました。

子どもはいませんでした。

遺体は、鉛の棺に入れられて、海に埋葬されました。

まとめ

フランシス・ドレーク船長は、正に、海の男として、歴史の伝説になった人物です。

スペインやペルー、チリでは、悪魔、ドラゴン、海賊として恐れられ、
イギリスでは、提督、英雄として、褒め称えられた船長です。

今でもたくさんの作品の題材になっている人物です。


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