インカ帝国の歴史とインカ帝国の歴代の皇帝を一覧でご紹介します!
そして、インカ帝国の宗教信条がどんなものだったのかもご紹介できればと思います。
ペルーだけでなく、エクアドル、コロンビア、アルゼンチン、ボリビア、チリまでの
南米の超広大な領土を治めていたインカ帝国の歴史はいったいどんなものだったのでしょうか?
インカ帝国の歴史
南米ペルーの歴史は、大きく分けるとプレインカ時代、インカ帝国時代、
スペイン植民地コロニアル時代、そして、革命後のペルー共和国時代に分けられます。
西暦後約1200 から西暦後約1533 まで
インカ帝国は、最初の8皇帝、西暦後約1200 から西暦後約1400 までは、
クスコの小さな領土しか支配していませんでした。
Tiahuanaco (Tiwanaku) ティワナコ文明や Wari (Huari) ワリ文明などの
プレインカ時代の近隣国と戦争がありました。
第9代皇帝 Pachacútec パチャクテックがインカ帝国の領土を拡大ました。
当時インカ帝国は、Tahuantinsuyo タウアンティンスーヨと呼ばれていました。
その際、インカ帝国の4つの区に分けました。
Tawantinsuyo タワンティンンスーヨ帝国(インカ帝国)時代、
その4区は、それぞれ地域支配者に任されていました。
その4区は、
エクアドルまで届く北の海岸地帯を Chinchaysuyo チンチャイスーヨ、
南のアルゼンチン、ボリビア、チリまで届く海岸地帯を Collasuyo コヤスーヨ、
東のアンデス山岳地帯を Antisuyo アンティスーヨ、
中央に位置していた海岸地帯を Contisuyo コンティスーヨでした。
第12代皇帝 Huayna Cápac ウアイナ・カパックは、
Ecuador エクアドルの Quito キトをタワンティンンスーヨ帝国(インカ帝国)を
第2の首都に定めました。
1532年、征服者 Francisco Pizarro フランシスコ・ピサーロが
現在の Tumbes トゥンベスから侵略を始めました。
そして、Cajamarca カハマルカにいた第14代皇帝 Atahualpa アタウアルパを捕らえます。
捕らえられた理由は、カトリック教徒の司祭が渡した聖書が字も読めず、
本という存在もわからず、意味がわからなかった為、捨てたというのが理由です。
皇帝が捕まってしまったので、実質全面戦争なく、
1533年7月26日に、皇帝 Atahualpa アタウアルパの処刑が実行され、
インカ帝国の支配が終わったのでした。
Atahualpa アタウアルパ皇帝が捕まってしまった後、
Francisco Pizarro フランシスコ・ピサーロやスペイン人が金銀に
とても興味があることを悟った Atahualpa アタウアルパ皇帝は、
手を伸ばした際の位置までの金と銀と引き換えに、
釈放してくれるよう条件を出します。
実際、Atahualpa アタウアルパ皇帝は、6トンの金と12トンの銀を
Francisco Pizarro フランシスコ・ピサーロに保釈金と支払いました。
しかし、Francisco Pizarro フランシスコ・ピサーロは、約束を守らなかったのです。
インカの14皇帝
1. Manco Cápac マンコ・カパック
西暦後約1200から西暦後約1230まで
名前の意味は、Jefe Poderoso 強力な将軍です。
2. Sinchi Roca シンチ・ロカ
西暦後約1230から西暦後約1260まで
名前の意味は、Guerrero Magnífico 偉大な戦士です。
3. Lloque Yupanqui ジョケ・ユパンキ
西暦後約1260から西暦後約1290まで
名前の意味は、Zurdo Memorable 語り継がれる賢者です。
4. Mayta Cápac マイタ・カパック
西暦後約1290から西暦後約1320まで
名前の意味は、Donde está el Poderoso 強者はどこに? です。
5. Cápac Yupanqui カパック・ユパンキ
西暦後約1320から西暦後約1350まで
名前の意味は、Poderoso y Memorable 語り継がれる強者です。
6. Inca Roca インカ・ロカ
西暦後約1350から西暦後約1380まで
名前の意味は、Rey Magnífico 偉大な王です。
7. Yáhuar Huáca ヤウアル・ウアカ
西暦後約1380から西暦後約1400まで
名前の意味は、El que llora Sangre 血で泣く者です。
8. Wiracocha Inca ウィラコチャ・インカ
西暦後約1400から西暦後約1438まで
名前の意味は、宇宙の創造王です。
9. Pachacútec パチャクテック
西暦後約1438から西暦後約1471まで
名前の意味は、Transformador de la Tierra 大地の変革者です。
10. Amaru Inca Yupanqui アマル・インカ・ユパンキ
西暦後約1471から西暦後約1471まで
名前の意味は、Supremo Soberano Sagaz 叡智ある至高者です。
11. Túpac Yupanqui トゥパック・ユパンキ
西暦後約1471から西暦後約1493まで
名前の意味は、Luminoso y Memorable 語り継がれる光輝です。
12. Huayna Cápac ウアイナ・カパック
西暦後約1493から西暦後約1525まで
名前の意味は、Mozo Poderoso 強力な青年です。
13. Huáscar ウアスカル
西暦後約1525から西暦後約1532まで
名前の意味は、Cadena de Oro 金の鎖です。
14. Atahualpa アタウアルパ
西暦後約1532から西暦後約1533まで
名前の意味は、Guerrero Valioso 有力な戦士です。
インカ帝国の宗教心
インカの皇帝は、神の子、神々の子孫であると考えられていました。
日本・神道の天皇やエジプトのファラオと同じですね。
Inca インカ(ケチュア語で王の意味)は、Wiracocha ウィラコチャ(宇宙の創造主)、そして、
Inti インティ(ケチュア語で太陽の意味)と Pacha パチャ(ケチュア語で大地の意味)の
血を引く末裔であると考えられていました。
インカ帝国は、エジプトや日本のように八百万の神を信仰していました。
そのため、インカ帝国の領土内の様々な現在の観光地では、
たくさんの太陽の神殿や月の神殿などが見られます。
たとえば、 iracocha ウィラコチャ(宇宙の創造主)、
Inti インティ(太陽神)、 Pacha パチャ(大地の神) 以外にも、
Apu アプ (山の神)、Quilla キジャ (月の神) などを信仰していました。
そして、インカ帝国の首都クスコは、霊的に世界の中心であると考えていました。
そのため、Cusco クスコの語源であるケチュア語の Qosqo コスコは、
へそ、つまり、世界の生まれた場所、中心という意味があります。
さらに、エジプトや日本の土壌宗教のように、天界、地上、冥界が信じられていました。
そして、それぞれには守護神がおり、
天界の守護神は Condor コンドル、地上の守護神は Puma ピューマ、
冥界の守護神は Serpiente 蛇であると考えられていました。
そのため、こうした動物たちも信仰されていました。
クスコ市自体、当初上空から見ると大地の守護神ピューマの形になるように設計されました。
こうした、宗教心は、3世界を表す3つの角石と世界のへそを表す穴で現された紋章にも
反映されており、今でもペンダントやお土産品としてよく見られます。
その紋章 Chakana チャカーナは、
Cruz Andina アンデスの十字架としても知られ、
世界中に共通して見られる魔術の紋章、十字架、
さらに、3つ巴の神、三位一体とも通じるところがあると考えられています。
まとめ
インカ帝国は、日本でいう天下統一をした大名、徳川家のようなイメージでしょうか?
その国土は、日本の国土の4倍から5倍ほどで、その強大さがよくわかります。
14代続いたインカ帝国の皇帝たちの歴史や
日本やエジプトの土壌宗教に似たインカ帝国の宗教も、
歴史的に見て、とても興味深いです。
世界遺産マチュピチュ遺跡観光で、クスコに訪れる際、
インカ帝国の歴史をある程度知っておくと見聞が広がり、
さらに興味深く、楽しむことができると思います。
歴史好きの方、ペルー、インカ帝国の歴史も調べてみられては如何でしょうか?
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