南米ペルーのバレーボールは強いのでしょうか?
ペルー人女子は、以前ご紹介した様に、基本バレーボール Voleibol が大好きです。
では、ペルーの FIVB 世界ランキングは現在何位なんでしょうか?
ペルーの女子バレーボールの歴史は、
日本人名監督加藤明氏のおかげといっても過言ではないでしょう。
ペルーのバレーボールの FIVB ランキング
女子シニア
最新の 2019年9月29日 の世界ランキングです。
日本は、7位で、ペルーは、27位です。
ちなみに、女子シニアの国際バレーボール連盟 FIVB (FIVB World Ranking) の
世界ランキング1位から10位までは以下の通りです。
1位 中国
2位 アメリカ
3位 セルビア
4位 ブラジル
5位 ロシア
6位 オランダ
7位 日本
8位 イタリア
9位 韓国
10位 ドミニカ共和国
男子シニア
最新の 2019年10月15日 の世界ランキングです。
日本は、10位で、ペルーは、93位です。
ちなみに、男子シニアの国際バレーボール連盟 FIVB (FIVB World Ranking) の
世界ランキング1位から10位までは以下の通りです。
1位 ブラジル
2位 アメリカ
3位 ポーランド
4位 イタリア
5位 ロシア
6位 アルゼンチン
7位 カナダ
8位 イラン
9位 フランス
10位 日本
ペルーのバレーボールの歴史
ペルーのバレーボールの歴史は、女子バレーボールの歴史です。
ただここ20年以上は、ペルーの女子バレーボールもとても弱くなりました。
1964年から1993年までは、ペルーの女子バレーボールは、南米選手権でも強豪として知られていました。
1964年から1993年までの期間、南米選手権で12回の優勝、3回の準優勝という
ほぼ必ず1位、もしくは、惜しくも2位で、
南米の中では、ペルーの女子バレーボールは、最強でした。
でも、ペルーの女子バレーボールが最も強かった時代は、
日本人の加藤明氏がペルーの女子バレーボールが監督だったおかげです。
加藤明監督は、ペルーで女子バレーボールの監督をする前に、
慶應義塾大学の監督として、1964年に、全日本大学選手権で優勝しました。
1965年5月、加藤明監督が32歳の時、ペルーの首都リマに監督として降り立ちます。
2年後、ペルー女子バレーボールは、ブラジルを倒し、南米1位になり、
その1年後のメキシコ五輪オリンピックでは、アメリカを破り、4位入賞しました。
アメリカを破ったことにより、当時ペルーは南アメリカだけでなく、北アメリカを含めた
全アメリカ大陸で最強になりました。
実際、加藤明監督は、最初は批判されていたものの、
ペルー女子バレーボールが実績が残した後、ペルーの英雄として、歴史にその名を残しました。
1982年3月20日、加藤明監督は、ペルー・リマの病院で、49歳の若さで亡くなります。
その後も、ペルー女子バレーボールは、さらに成長していきます。
1982年の世界選手権では、準優勝、1986年の世界選手権では、3位、
1988年のソウルオリンピックでは、銀メダルを獲得しました。
1980年代のペルー女子バレーボールは、強かったです。
まとめ
1960年代から1980年代まで、ペルー女子バレーボールは、世界的に見てもとても強豪国でした。
それは、日本人の加藤明監督の功績とも言えます。
現在では、ペルーは、FIVB 世界ランキングで、27位です。
とても弱くなりました。
ただ今でもペルー人の女性たちは、バレーボールが大好きです。
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