南米ペルーでの日本人移民苦悩の歴史と日系ペルー人2世

ペルー, 歴史, 移民, 日本人
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南米ペルーという国は、日本人にとって気っても切り離せない歴史がある国です。

なぜなら、南米で日本人が移民として移住した最初の国というのがペルーだからです。

そして、その歴史はとても苦悩に満ちた大変なものでした。

移民である1世の人たちと、日系と呼ばれる日系ペルー人2世、3世の努力の歴史でもあります。

南米ペルーへの移民第一陣

1899年佐倉丸という移民船で横浜港から790人が出発し、
ペルーの首都リマにあるカヤオ港に南米ペルーへの移民第一陣が到着しました。

なぜ南米ペルーという世界の反対側にあるとても遠い国に
日本人が移民する事になったのでしょうか?

その当時、移民会社というものが存在しました。

日本は不景気だった為、移民会社は、新天地で一旗あげようというスローガンと共に、
移民希望者を募り、契約社員と同じように、移民契約を結び、労働者として、雇用したのです。

ただ移民会社が行っていたのは、合法の奴隷制度のようなものでした。

移民の人々は、サトウキビ農家の労働者として、過酷な状況で、安い賃金で働かされたのです。

出稼ぎ目的で、地球の反対側の南米ペルーにまで来たにも関わらず、
出稼ぎするお金を貯まるには、あまりにも過酷であり、
故国にお金を送金することは本当に難しいことでした。

さらに、慣れない南米の熱帯地方で、伝染病にかかり、124人もの
日本人移民が1年間で亡くなりました。

1923年まで移民送り出し

1899年から1923年までで、83回の移民船が日本からペルーに渡り、
1万8727人の日本人移民がペルーで契約移民として上陸しました。

しかし、過酷な状況ゆえ、たくさんの人が逃げ出したりしました。

移民契約期間が終わっても、お金がなく、帰国することもできず、
アンデスの山を越えて、隣の国へ国外逃亡する日本人移民もいました。

日本人移民のペルー社会への進出

農業で稼いだ少ない元手から都市部に進出し、
理髪店、雑貨店、飲食店を出し、ペルー人を上回るようになっていきます。

そして、様々な日本人移民の県民会や同業者組合を設立します。

1917年には、日本人移民としての代表機関、秘露中央日本人会、
1920年には、里馬日本人小学校が設立されました。

その後、ほとんどの日本人移民が都市部への進出を果たします。

ペルー人からのねたみと不公正

ペルー人より成功し始めた日本人移民に対し、ペルー人からねたみを買う様になります。

そして、第二次世界大戦が始まる頃には、日本人移民への偏見が強まります。

1940年5月に、日本人移民がテロを起こそうと武器を集めているといううわさが流され、
襲撃、強奪、破壊という被害に合います。

620 世帯が犠牲をうけ、316人は、無一文で日本に帰国しました。

1941年に、日米での戦争が始まると、ペルーはアメリカとの同盟国であったため、
ペルーは日本との国交を断絶、日本人移民の組合や学校はすべて閉鎖、
さらに、日本人移民たちとその家族は逮捕、財産は全て没収が始まります。

1942年4月、ペルー政府として、日本人移民をアメリカの強制収容所へと引き渡し始めました。

しかし、世界大戦中でもあり、アメリカとの同盟国でもあったため、
仕方なく思えるかもしれませんが、基本的には日本人移民の成功へのねたみから
日本人移民を迫害する為の機会として悪用されました。

それを裏付けるように、迫害を受けたのは、財産や地位がある成功した日本人移民ばかりでした。

1945年までに、1700人以上の日本人移民が逮捕、アメリカへの強制収容所へ引き渡されました。

日系ペルー人2世

ペルー人からの弾圧、迫害に耐え、ペルーで戦うことを選んだ日本人移民たちがいます。

しかし、弾圧と迫害の歴史から日本人移民の親たちは子供たちに日本語を教えず、
スペイン語を教えたため、たくさんの日系ペルー人2世の子供たちは、
日本語を忘れてしまいました。

しかし、大和魂の強い意志は、日本人移民の子供たちにも受け継がれ、
日系ペルー人2世が社会で成功者になり、日本人移民のペルー社会へ返り咲きます。

日系ペルー人2世の子供たちは、親から迫害や弾圧を避けるため、
ペルー人のように育てられた為、ペルー人との結婚も増え始めます。

しかし、弾圧、迫害された記憶は、日系ペルー人2世の子供たちから消えることはなく、
ペルー人社会で必ず成功する、ペルー政府自体を改革するという意志に燃えました。

その後、日系人のペルー社会への貢献からペルーで受け入れられるようになりました。

ただ、日系ペルー人3世、4世になると、
ほとんど日本語を話すことができない人がほとんどになりました。

それでも、日本人の血が流れているという意志や文化は現代まで受け継がれている様に思います。

革命後から現代までのペルー共和国時代の戦争、紛争の歴史

まとめ

不況から南米ペルーに希望を持って、日本人移民とした移住した人々は、
ペルーでも同様に貧しさに苦しみました。

その後、生活が少し良くなってきたら、ペルー人たちからねたみを買い、
迫害、弾圧を受けました。

そして、南米ペルーで生まれた日系ペルー人2世の子供たちも二つの文化の中で苦しみながらも、
ペルー人社会で成功された歴史があります。

日系ペルー人3世、4世になると、顔もペルー人と変わらず、
日本語も話せない人がほとんどになりました。

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現在では、日系レストランなども受け入れられたり、
Made in Japan の絶大な信頼がペルーであります。

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ただ 1899年以降に移住された日本人移民の方々の苦悩の歴史は、
忘れてはいけないと思います。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    南米ペルーの首都リマに在住後、北部チクラーヨへ移住。その後、さらに南部インカ帝国の首都クスコへ移住したフリーランスで、「ペルー案内観光」編集者。2013年にペルーに移住。ペルーで知り合った妻と一緒にペルー海外生活奮闘中です!